SILVIA's Manifestations

引き寄せたあれこれ と 子育て と 音楽 と・・・

人を批判したり、バカにしていると

息子(中2)は歴史や政治家等に興味があり、そういったニュースや学習系の動画をYouTubeでよく見ています。(もちろん、それ以外のくだらない動画も見ていますが、、、)

 

そういった社会科系の動画を見ているのは良いのですが、時々、政治家の失態動画なんかがおすすめに出てきたりして、そんなのも見ていたりするんです。

 

先日は、バイデン大統領が転ぶ場面のコンピレーション動画を大笑いしながら、何度も何度も見ていたんです。

 

人の失敗をそうやってかき集めて動画で広めているその人もその人ですが、それを娯楽で見ている息子に対しても、何とも言えぬ気持ちが私の中に込み上げてきます。

 

人の失敗をエンタテーメントにしているわけですからね、、、。

 

 

息子にも話したのでが、基本的に人を批判したり、バカにしていると、いざ自分が何かに挑戦しようと思った時に、今度は自分自身が怖い思いをするようになるのです。

 

「人の失敗を笑う」ということを当然のようにしていると、「失敗というのは笑うもの」「自分も失敗をしたら人から笑われる」等という観念が、ご丁寧に自分の中に植え付けられるのです。

 

そうすると、人の目が気になったり、世の中が怖くなったりして、自分に自信がなくなる、自分軸がなくなる、自己肯定感も下がっていく、ということが起きてきます。

 

そして、そんな弱い自分を守るために、さらに人を批判することで自分を大きく見せたり、あるいは、自分自身が何か失敗すれば、それを人のせいにしたりする。

 

当然、自分の人生のハンドルが握れなくなり、人生のあらゆる面で上手くいかなくなる。

 

そして、いずれ「自分って一体何なんだろう、、、」という思いになる。

 

 

これは、他でもない、かつての私のことです。

 

 

私は、毒舌キャラで、人を非難しまくっていたくせに、いざ人前で何かしようと思うと、凄まじい恐れが押し寄せてくるということを幾度となく経験してきました。

 

それで人と接するのも嫌、自分も嫌。

 

気付けば、人生上手くいっていないよね、、、という状態に。

 

(そうした苦しみの中、潜在意識について学ぶようになって、自分の在り方を改め、今はなんとか自分の人生を取り戻している最中という感じです。)

 

 

 

これは、有名な話かは分からないのですが、ゴルフのタイガーウッズは、対戦相手がカップインのための最後のショットを打つ時に、心の中で「いけ!入れ!」と言っているそうです、対戦相手がそのショットで勝ってしまうかもしれないというのに、、、。

 

もし、ここで「外れろ!外れろ!」って言ってしまうと、例え対戦相手に対して「外れろ」と言っているつもりでも、結局その「外れろ」という言葉を一番近くで聞いているのは、言っている本人自身。だから「外れる」という認識が自分自身に埋め込まれてしまう。

 

要するに、「外れろ!」っていう言葉と思いを、自分の身体の中に響き渡らせてしまうと、いざ自分の出番になると、身体はショットが外れるように働いてしまうということになるのです。

 

 

結局のところ、成功している人に対しても、失敗している人に対しても、心の中で応援する。それが一番です。それが自分自身への応援となって、成功への道となるだけでなく、自分を好きになる方法にもなるのです。

 

目の前にいる人は自分の鏡。

相手は私。

私は相手。

 

よく聞く言葉ですが、これが腑に落ちるようになれば、例え最初は難しくても、だんだんと相手を応援できるようになってきます。

 

とは言え、当然、人間なので、嫉妬や怒りまみれで、そう簡単に出来ないということもあります。(っていうか、私はしょっちゅうですが、、、。)

 

 

かく言う私も、そのYouTuberや息子を批判しているということは、自分を批判しているということなんですよね。

 

YouTuberも息子も私の一部を映し出しているに過ぎず、二人のしていることが私の目に止まるということは、私の内側にも「人の失敗は笑うもの」という観念があるだけでなく、「失敗を笑うのは悪」という観念もあるということ。

 

私も人の批判をせず、視座を高めたいところ、、、。

まだまだ、修行が足りていないですね、、、。

 

 

 

問題が発生したら、それと同時に解決策も発生している

画像制作等で使うCanvaって皆さんは普通に使えるのでしょうか???

インスタとかYouTubeをやっている人であれば、ごく当たり前に使いこなしているんでしょうけど、私はSNSは専ら見る派なので、全然、、、。

 

今さらですが、私もCanvaが使えるようになりたいと思って、今日の昼間ちょっと色々といじってみました。

 

 

数年前にも挑戦してみたことがあるのですが、使い方が良く分からず、面倒くさくなって止めたトラウマが有ります。

 

自分一人の力では出来ないのは分かっていたので、とりあえず、YouTubeでCanvaのチュートリアル動画をいくつか見て、改めて自分でやってみることにしました。

 

色々な機能があり過ぎて、全然使いこなせそうに無いのは分かっているのですが、とりあえず基本的なことが出来るようになりたいな、と。

 

でも、案の定、早々に基本中の基本の部分で突っかかてしまい、もうイライラ、、、。

 

「どこを押せば、ここがこうなってくれるんだ!?(怒)」と一人でブツブツ。

 

どこ探しても分からない。

ネットでやり方を検索しても上手くいかない。

 

怒りとイライラで手が震え始め、呼吸も浅くなってきたので(笑)、これはいつも通り、潜在意識に任せることに。

 

 

とりあえずCanvaのことは忘れピアノを弾く。

 

でも、イライラが止まらず全然ピアノに集中できない。

 

なので、ピアノを弾きながら、上手く完成出来たCanvaの画像をパッとイメージしてみる。

 

そして、しばらく弾いていると、もうすっかりCanvaのことは忘れ、手の震えも呼吸も元通りに。

 

で、ピアノを終え、パソコンに戻り、「あ、そうだCanvaをやっていたんだ」と思い出す。

 

 

そこで、Canvaの画面をもう一度開いて何気なく、とある場所をクリックしてみる。

 

驚くこと無かれ、その最初にクリックしたところが、見事に解決のクリックとなりました。

 

「何でさっきここを押してみなかったんだろう」って不思議なくらい。

 

呆れるくらい一発で解決してくれたおかげで、その後は比較的スムーズに画像を創ることが出来ました。

とは言っても、基本的な操作しかしていないんですけどね、、、。

 

 

それにしても、こうしたパソコン関係、プリンター関係のトラブルがしょっちゅうで嫌になっちゃう、、、。

 

でも、その度に、潜在意識にお願いしているおかげで、自分の潜在意識を使いこなす良い訓練となっている気がしています。

 

 

潜在意識 云々関わらず、基本的に、いつも自分に言い聞かせているのは、問題が発生したら、それと同時に解決策も発生しているということ。

 

問題が起きるのは、それは解決策があるから問題が起きているのです。コインの裏表と同じように。

 

解決策の無い問題なんてないと思います。ただ、その問題にどっぷりハマっていると、解決策が目に入ってこないんですよね。

 

なので、問題から一旦離れて、「その問題をもう抱えていない自分」「解決した自分」になった状態になってから、もう一度その問題に向き合うことが大事なんです。

 

「解決している自分がこの世のどこかにいる。」そう信じ、そこに焦点を合わせることです。

 

 

まあ、そんな偉そうなことを言っている私ですが、そう簡単にいかない時って、いくらでもあるんですけどね、、、。

 

書けば叶う

書けば叶う」ということで、、、

旦那がまたカフェに連れて行ってくれることを期待して、昨日のブログの最後に、「明日も誘ってくれるかな。」と書いたのですが、

 

silvia-manifestation.hatenablog.com

 

 

その通り、無事に叶いました!

 

 

レモンタルト(写真手前)が美味で、目をつぶって、よ~~く味わってきましたよ。

 

 

旦那にカフェに連れて行ってもらう、、、??

そんなこと別に大したことないじゃん、って思うかもしれませんが、今までの旦那だったら、本当に本当にあり得ないこと。

 

 

これでふと思ったのが、

もしかして、叶えるのが難しいと思える願いなんかは、「叶いました!」っていう内容で予めブログの下書きとして書いておけば叶いやすくなるってことはないかな!?

予祝ってやつですね。

 

実験したいと思います。

 

こんなちょっとしたことでも、嬉しい今日この頃

「書けば叶う」ということで、年始に、自分のやりたいことや、叶えたいことを100個くらい書き出してあったのですが、そう言えば、最近、その内の一つが叶っていることに気付きました。

 

ありきたりな願いですが、「たまにカフェに行く」っていう願い。

 

書いた当初は一人で行くつもりで「カフェに行く」って書いていたのですが、最近、旦那が休みの日に「コーヒー飲みに行かない?」って旦那の方から誘ってきてくれるようになっている。

 

しかも、おごってくれる。

 

一人で行っていたら、

 無駄遣いじゃないか

 働いている旦那に申し訳ないんじゃないか

 私ばかり良い思いをして良いのだろうか

なんてことを思っていただろうけど、誘ってくれるなら何ら罪悪感なくカフェに行ける。

 

月に2~3回とかですが、こんなこと、これまではありませんでした。かつては「休みの日は寝る。以上。」という旦那だったのに。

 

もちろん、私から口に出してお願いとかはしていないです。

 

 

こんなちょっとしたことでも、嬉しい今日この頃

 

想定以上の状態で願いが叶っている。

 

明日も誘ってくれるかな。

 

この世のどこかに必ずある

息子(中2)が産まれた頃、確か私はまだガラケーを使っていたと思います。

 

その頃の携帯のカメラって、今のような高画質な写真が撮れるわけではなかったので、「急いでこの瞬間を撮りたい!」っていう時は携帯で撮っていたけど、どこかお出掛けしてポーズを取っての撮影は、綺麗に映るよう、デジカメを使っていました。

 

そう考えたら、今は本当に便利ですよね。ポケットに入るような大きさのスマホだけで、綺麗な写真も動画もサッと撮れて、大量に保存も出来る、共有もできる、加工もできる。

 

当時は、旦那の携帯で撮ったり、私の携帯で撮ったり、デジカメで撮ったり、ビデオカメラで撮ったり、、、。

 

そして、定期的にそれぞれをパソコンと線で繋いで、パソコンに保存。

 

機種変する時も、「どうやってデータを移せば良いんだ!?」と、何だか色々大変だったのを覚えています。

 

で、何とかパソコンに保存したは良いけど、そのうちにパソコンの容量がいっぱいになる。

 

クラウドに上げても、そこの容量もパンパンになって、「月額○○円で容量を、、、」なんていう案内が出てきたり、、、。

 

 

そこで数年前、今後もどんどん写真は増えるだろうから、外付けHDDを買ってきて、そこにどんどん移していくことにしました。

 

古い携帯に入っていた写真も、旦那の携帯に入っていた写真も、デジカメやビデオカメルに入っていたものも全部。もう、どこに入っていた、いつの何の写真かも分からないくらい、グチャグチャにあった沢山のデータをHDDへ。

 

 

で、先日事件が起きたのです。

 

詳細は複雑なので、説明は省きますが、そのHDDとパソコンに保存しておいたはずの写真の一部が消えていることが判明したんです。原因は私のおっちょこちょい?ドジ?勘違い?です(涙)

 

しかも、無くなっていた写真は、結婚前~子どもが入園した頃の古いものなので、貴重な過去の記録が消えたということです。

 

しかも、まだSDカードすら無かった頃の古い携帯に入っていたものだったりして、、、。

 

クローゼットに保管していたそれらの古い携帯を引っ張り出してきて見ようとしても、もう充電ケーブルが劣化していたので、充電すらできない状態。(これは携帯業者にお金払って、お願いするしかないのか、、、!?)

 

仕方ないので、携帯自体は諦めて、再びパソコンとHDDを探る。

 

でも、やっぱりどこ見ても無い。

 

開けたこともないようなファイルも、片っ端から開けてみる。

 

でも無い。

 

データを復元出来ないだろうかと、ネットで調べて、試してみたり、、、。

 

それでも、写真の気配が無いんです。

 

 

内心、諦めました。

 

なんだったら、過去の記憶は全て捨て去って、今日から新しい自分で生きようと覚悟もしたくらいです。気付けば、「徹底した断捨離をしたんだ」と、自分に言い聞かせ、自分を励まし始めていました。

 

仕方ない、、、。

 

自分がやらかしたこと。自分以外に、誰も恨む相手がいなかったのがせめての救い。もし旦那がやらかしていたら、恐らく私は怒り狂って苦しんでいただろうと思います。

 

もう諦めるか、、、。

 

、、、。

 

、、、。

 

でも、ちょっと待てよ、、、この世から完全にあの写真たちが煙のごとく消えるなんてことはあり得るのだろうか。

 

かつては一度存在していた物が完全なる「無」になるってことはあるのだろうか。

 

あの写真たちが、この世のどこかに、まだ存在していてもおかしくないよね!?

 

エネルギー保存の法則から言っても、あり得るよね!?

 

 

そこで、私は空中でイメージしたんです、無くなった写真たちがあるのを。

パソコンの画面に全てがパッと映る姿も。

 

どこにあるかは分からない。

どうやって、それが復活するかも分からない。

 

例え分からなくても、この世のどこかに必ずある

 

「絶対にある」ということだけを自分で認識するようにしたんです。

 

それで、数日間、写真のことは忘れるようにして、この件は一旦寝かせ、あとは潜在意識に任せることにしました。

 

 

4日後くらいでしょうか。もうそろそろ良いだろう、きっと潜在意識が解決してくれるだろうという確信が芽生えていたので、一度深呼吸をして、再びHDDの中を探しに。

 

はい、ありました。

 

しかも、今まで何だったんだ!?っていうくらい、あっけなく、一瞬で全てが出てきたんです。

 

ありとあらゆるファイルを探したと思っていたのですが、そうではなかったよう。

 

HDDを開いた瞬間、あるファイルのアイコンがすぐに目に入ってきたんです。

「なんだこれ?こんなのあったっけ?」と。

 

ちょっと他のとは違う変わったアイコンで、写真のファイルとは関係ないだろうと思って、以前は気にも留めなかったのだと思います

 

そう、その中に入っていたのです、、、新婚旅行の写真も、出産直後の写真も、初めて息子が寝返りをうった時の動画も、入園式の写真も、、、。

 

なんでそんな所に入っていたのかは不明ですが、とにかくあった!

 

 

 

今回の件は、潜在意識の典型的な活躍の仕方かなと思います。

 

潜在意識は、普段気付かないようなことを、解決のために気付かせてくれる。

 

信じて、潜在意識に任せれば、どこを見れば良いのか、どうすれば解決するのかも教えてくれる。

 

身体はちゃんと知っているんですよね。

 

ホント、ありがとうございます、潜在意識。

 

 

子どもに自分の正しさを証明しようとしている

「ちゃんと歯磨きをしなかったら虫歯になるよ」

「野菜食べなかったら病気になるよ」

「勉強しなかったら将来ホームレスになるよ」

 

なんてことを、子どもに言いそうになる時があります。

かつては実際に言っていたこともありました。

 

今考えると、何故これを言っていたかというと、もちろん、子どもが言うことを聞かないというのもあるのですが、

 

息子vs親

 

の構図になっていたからだと思います。

 

最初は「歯を磨こうねぇ~^^」と言って、歯磨きへと誘導しようとしていたのが、言うことを聞かないもんだから、徐々に「歯磨きをしなかったら虫歯になるよ(怒)」っていう表現になってしまう、、、。

 

で、これを言っているうちに、気付いたら内心、「本当に虫歯になっちゃえば良いのに、、、」と思うようになっているのです。

 

本当に虫歯になってくれれば、「ほらね、ママの言った通りでしょ?」「誰が悪いの?」って言ってやれる。

 

実際に虫歯になってくれれば、以降、

親の言うことは正しい → 親の言うことを聞くようになる

という流れになることを期待してしまう。

 

こんな風にして、気付けば、子どもに自分の正しさを証明しようとしている自分がいるのです

 

「歯を綺麗に保っていて欲しい」という願いがいつしか、「自分の正しさをなんとか証明してみせるぞ」という意地に変わり、「親である私を認めて欲しい」ってなっているんですよね。そして、これが苦しみの始まりだったりする、、、。

 

 

本来は、親子で二人三脚で成長していけたら良いのですが、言う事を聞かなさすぎると無意識に

「子どもに勝ちたい」

「親の力を見せ付けたい」

なんてことを、どこか思ってしまうんですよね。

 

本当だったら、誰にも何にも勝つ必要もないし、自分の力を見せ付ける必要なんて無いのに。ましてや、子どもに親である私を認めて欲しいなんて、、、。

 

 

一時期、歯磨きの声掛けは諦め、試しに放ったらかしにしてみたことがあるんです。そしたら、歯磨きは月に1~2回あるかないか、ということが判明、、、。本当に信じられないですよね、、、。中学生ですよ、、、!?

 

(しかも、この期間に歯医者さんに行ってみたら「良く磨けてますよ~」なんて褒められちゃうもんだから、困っちゃう、、、。)

 

 

で、どうしたか。

 

何も磨いていなくても、「すごいじゃ~~~ん!!今日は磨いたの!?恰好良い!!さすが!!」なんてことを言い続けてみました。

 

もちろん、本人は全く磨いていない、、、。

 

でも、それを来る日も来る日も言い続けていたら、「うん、磨いたよ!」なんていう返事が返ってくるように。

 

でも、こう返事していても、実際は磨いていない、、、。

 

それでも、「すごいじゃ~~~~ん!!」って言い続けていたら、

 

ある時、「俺の歯ブラシってどれだっけ??青い方?黄色い方??」って聞いてきて、僅か数秒でも磨くように。

 

今は、何とか一日一回は磨くようになっています。磨いている時間は一瞬ですけど、それでもかなりの進歩なのでは!?

 

 

 

「虫歯になっちゃうよ」「虫歯になっちゃうよ」って言い続けると、意識は虫歯に行ってしまい、「虫歯」が潜在意識に入ってしまうから、やはり避けるべき。

 

意識は「健康で綺麗な歯」や「磨くこと」に向くようにしたいところ。

 

親は、自分の正しさを証明しようとするより、子どもに意識を向けて欲しい方の未来を指さす、、、。私自身も、自分の正しさよりもそっちに意識が向くよう、自分の思考には気を付けるようにしています。

 

自分の正しさを証明しようとしている自分や、認められたいと思っている自分がいることに気付いたら、自分の内側の世界に何がどういう理由で入っているのか、そっちを明らかにした方が、よっぽどお互いのためになるかもしれません。

 

実際は、まだまだ修行が足りていないんですけどね、、、。

 

息子が自滅してくれました

皆さんは、子どものスマホの管理ってどのようにされているのでしょう??

 

本当に厄介ですよね。

 

渡しておけば、永遠にYouTube。しかもどうしようも無くくだらないのばかり見てる、、、。

 

我が家では、小2の時からキッズ携帯を使わせていて、キッズ携帯であればただの連絡手段として活用できて良かったのですが、その使っていた機種のサービスが終了するということで、息子が去年中学に入るのと同時に、携帯屋さんから0円スマホをもらったのです。

 

私としては、出来れば中学校もキッズ携帯でいきたかったんですが、、、

 

中1からスマホを使うようになって、さあ大変。

 

朝起きて動画。

学校から帰ってきても動画。

トイレ中も動画。

食事中も動画。

お風呂入る前に洋服を脱いでいる時も動画。

お風呂から出て、タオルを取る前に動画。

 

食事中は禁止というルールにしても、

夜は9時までというルールを設けても、

休憩を入れるというルールにしても、

あっさり破ってくる。

 

スマホを隠しても見つけ出されてしまう。

 

来る日も来る日もバトル。

 

スマホさえなければ、どんだけ毎日が楽になることか、、、。

 

スマホさえなければ、、、。

 

スマホさえなければ、、、。

 

 

、、、と願っていたら、

 

息子が自滅してくれました

 

何故どうやって、そうなったのかは分からないのですが、画面をバキバキにしたのです、本人自らが。

 

 

ただ落としただけでは、こんな風にバキバキになるはずがない。少し中の機械まで見えているし。

 

なんでそうなったのか聞いても答えないので、本人が自ら何かをやったのでしょう。

 

画面は、チラチラしながらも映っている部分はあるのですが、どう見ても使うには危険な状態。

 

「壊したら、もう買わないからね」という約束はしてあったので、無事、携帯の解約してきました。

 

解約については、本人は何も文句を言ってこなかったです。恐らく、自分に原因があることを自覚しているのでしょう。

 

「携帯が欲しければ、高校に入ってからバイトでもして、自分で買ってね」ということは話してあるので、中学卒業するまで、携帯バトルが勃発することはもうありません。

 

こうして無事に私の「スマホさえなければ、、、」という願いは叶ったというわけです。めでたし、めでたし。

 

 

 

とは言っても、悲しいかな、、、今度は学校から配られているパソコンでYouTubeを見ているんですけどね、、、。

 

とほほ、、、。